辻ヶ花が幻の染めと言われる所以
コラム・読み物
今回、染織工芸むつろさんの墨描き職人・田原わかさんから色々とお話をうかがい、初めて知った事や深く理解出来た事がたくさん有りました。
室町時代頃に誕生し、最も華やかに隆盛を極めたのが安土・桃山時代。
江戸幕府による「奢侈禁止令」所謂、贅沢禁止令が出されて大ぴらには着られなくなり、それでも諦められず求める人は中に着る長襦袢や羽裏に用い、絞りの技術は残されて今に至りますが、江戸時代の中頃には辻ヶ花の技術は途絶え、幻の染めとなったとのこと。
昭和に入り、染織家が研究を重ねて「辻ヶ花」の絞り染めを復活させますが、いにしえの当時そのものの染めというのは今では再現不可能なのだそう。
比較的安定して色を揃えたり、染め上がりが予想し易い化学染料でも染め分ける事が出来ない柄を、今の様に細い糸では無く太い麻の糸を使ってどの様に防染していたのか分からないのは、辻ヶ花が一番栄えた時代は識字率も高くなく、職人が文字で資料を残していない事も有り、一度失われた技術は復活させるのはとても困難なのだと改めて思いました。
地位の高い武将が戦地に赴く際に甲冑の下に着る胴服として愛用され、権力や富の象徴で有り、身を守る厄除けの願いも込められた文様については>>こちらでお話しいたします。